アメリカはテキサスにあるUniversity of Texas at Austinでナース目指して勉強中。日々思う事をかなり適当に書き綴る。目先の目標は2010年卒業。卒業した暁には値段を気にせず美味しい物をたらふく食べたいと願う。


by ecotama
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死の受け入れ


昨日また一つ不幸なニュースが届いた。

以前にも書いた事のあるジョンの事だった。
あの時は本当にもうダメだと言われてたのに、薬がうまく効き始めたようで何とかもちこたえた彼。

先週末から腎臓が全く機能しなくなって、肝臓はもちろん、体の殆どの部分がもう機能しなくなってしまったらしく、今回は本当に99%の確立で無理だと宣告されたという事だった。
今は家族や奥さん、親しい人だけがつきっきりで看病しているみたいだ。

マイケルと2人で「本当に辛いよね」とかなり落ち込んだ。
別に特に親しい仲間でもないけれども、1度でも顔を合わせて一緒に大晦日のカウントダウンを祝った事を思い出すだけで、心苦しくなった。

人はどういう基準で愛する人の死を受け入れる事が出来るのか?

そんな事を考えた。
小さい子供は死という意味が分からないので、理解する、理解しないというより以前に肉体が自分の目の前から無くなる、つまり見えなくて不安で寂しくなるという事になるのか?
大きくなって色々な経験をして死という意味をなんとなく漠然に理解すると、肉体が無くなるのも辛いが、自分の心の頼る場所がなくなるから辛いのか?

もしも、あなたの愛しい人が目の前で少しずつ弱りきっていく姿を直視しながら、その人の死を受け入れる事ができますか?
それは何をもって可能になるのでしょう?


例えば年配の人達が病院で亡くなったり、家で老衰で亡くなった場合、何となく皆納得できると思うんですよ。
「お婆ちゃんは90年も生きたんだよねー、寂しくなるけど老衰なら幸せだったろうね」って感じで。
その人が亡くなる年齢は、その人の死を受け入れられる大きな要因になるんじゃないか?って思うんですよ。
4歳の子供が何かしらの病気で亡くなると、「まだ4歳なのに・・・」となるけれども、90歳のお年寄りだと「90年も生きて、きっと幸せだったろうね」と死に関する見方も変わってくる。
もちろんその人の宗教観によっても、まったく死に対するコンセプトは変わってはくるんですが。

もしマイケルが病気になって死の宣告をされたら、私はどうやってそれを受け入れればいいのか?と考えた。
受け入れる事が出来るのかも分からない。
それを聞いて涙は流すだろうけど、その涙の流れる原因は多分分からないと思う。
マイケルが居なくなる事に対して不安だから泣くのか?
マイケルがもっと色々将来経験できなくて可哀相で、それを不憫に思って泣くのか?
自分が1人になって寂しくなるから泣くのか?

思い出は一生消えないけれど、逆にその2人の思い出が最初は苦しめると思う。
そしてその思い出の中に自分を置く度に、色々な後悔の念も出てくる。
本当に思い出が良い意味で威力を発揮するまでには時間がかかるだろう。

ジョンの奥さんやご両親は本当に辛いと思う。

残り少ない時間、愛する人達との濃密な時間を過ごして少しでも多くの思い出を作ってもらいたいと思う。

今日はヘビーな話題でしたな。
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by ecotama | 2007-03-24 13:02 | whatever