アメリカはテキサスにあるUniversity of Texas at Austinでナース目指して勉強中。日々思う事をかなり適当に書き綴る。目先の目標は2010年卒業。卒業した暁には値段を気にせず美味しい物をたらふく食べたいと願う。


by ecotama
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Death and Dying


未だに腰痛から脱出できないエコタマです。
ここでちょっとびっくりする事を(個人的にびっくりするだけで、全員がびっくりするわけとちゃうと思う)

ワタクシ、昨日またacupunctureへ行って来たんですわ。
で、今回は前回の先生とは違った、マイケゥの師匠の先生のところへ行って来たんよ。
この先生も中国人やねんけど、Tai Chi masterですごいねん!
この前に針行った時はもうほんまに針のみって感じやってんけど、この先生の針は全然違う!

まぁ今から書くのは人それぞれ信じるか信じへんかってあると思うねんけど、これは昨日実際にうちが体験した出来事。
なんでくしゃみをして腰痛になったか?って事の説明から始まって、いざ針治療って時にうちは前回みたいに当然ベッドに寝るんやろうなーって思ってたら椅子に座らされただけ。
両足の親指の付け根の辺りを軽く押し始めると、一部痛い。
で、うちが「あ、そこ痛い」というと針をぐいぃっと。

ほんでここからがびっくりやねん。
一本目をパシっと体に入れた瞬間、足先から頭の先までこうほんまに稲妻のようにすごい力(なんか金色みたいなのが)走ったわけよ。
これは痛みとかじゃなくて、全く違う感覚のもんやねんで。
で、「うわー、今の何?」と聞くと、「あ、君は分かるんやねー。この感覚が分かるのはだいたい10%ぐらいの人だけやで」と言われる。
いわゆる、この針でも気を入れる針ただの針の違いを知った瞬間でもあったわけ。
人の体の中には気が流れてて、うちはどうもとても敏感体質らしく、3本目の針でもう冷や汗かいて倒れそうになったんでベッドに寝かしてもらう。
「こんな敏感な子、久しぶりにみたー」と言われるぐらい敏感らしい。
でも確かに前に漢方薬を飲んでた時も、私自分の薬の量を自分の気で調整する事が出来たのよね。
先生がうちの右手の手のひらにある程度の漢方薬をのせて握らせるねん、で、体にとってピッタリの量やったら何もおこらへんねんけど、体にとってちょっと強すぎたりすると持った瞬間頭が痛くなる。
だからいっつもこうやって薬を処方してもらってたのさ。
敏感体質なんで、この先生の針治療には最適らしい、ということで金曜日も行ってくる。

で、今日もだらだらと書いてみようと思う(勉強しろよって思うねんけど)。
このセメスターも終わりに近づき、今取ってるクラスではちょうど

についてお勉強中。
euthanasiaから始まって、死に行く患者さんとのコミュニケーションの方法や、どうやって家族をサポートして良き最後を迎えるか?みたいなトピック盛りだくさん。
死って確実にやってくるものやけど、こう世間的にどう考えても結構タブーなトピックとして扱われてると思うのよ。
ましてや死に逝くものを目の前にして「もうすぐあなた死ぬから、今から色々お葬式の事とか話し合っておきましょう」とか話す家族とかってどっちかっていうと少ないと思うねん(この部分、うちもよーわからんけど)。
どっちかっていうとそういうお話は「部屋の外で」っていうのが暗黙の了解としてあると思う。
こうどういう会話をしていいんか?どういうタイミングで「あんまり長くないよ」って告げるんか?とか色々と難しい。

倫理のクラスの時にちょうどartificial hydration and food、つまりもう死にかけでご飯を口から食べれなくなった人、もしくは脳梗塞とかで麻痺が出てしまって口からご飯を食べれなくなった人達についての話になった時に、自分の祖父を思い出した。
この祖父は去年の7月頃に亡くなったんやけど、私が祖父と最後に電話で話したのがちょうどgastric tubeを入れる手術をする前で、祖父は声を出す事ももう出来なかった。
私はただ単に「がんばりやー」と言っただけで終わってしまった、今考えると何を頑張るねん?って思う。
そしてその手術の次の日の朝、誰にも気付かれずに祖父は家で亡くなっていた。
私、このクラスの途中で何か知らんけどものすごいその時の事を思い出して後悔した。
このクラスをもっと前に取っていたら、うちのおかんにも色々教えてあげられた情報がたくさんあって、その情報を考慮しながら祖父と話して治療の決断をする事ができたんとちゃうんか?って。
もっとベストな方法があったんとちゃうんか?って。
なんでもっと自然な方法での死っていうものを理解でけへんかったんやろう?って。
祖父はきっとこの治療方法の決断を後悔はしてないと思うけど。

その時の祖父の病状からいえば、確実に死から遠くはなかった。
癌が肝臓に転移していて、もう長くはないやろうとお医者さんも言ってたらしい。
日々弱っていく祖父、最終的に足はパンパンに腫れてご飯も食べれなくなった。
そんな体の状況を考えると、そんなチューブを入れる手術をする方が祖父にとっては負担になる。
でも、そんな事医者はきっちり家族に説明したのかもわからないし、私自身このクラスを取ってなかったら「ああ、もう少しでも長く生きれるならどうぞ手術してください」と言うであろう。

長生きする事が幸せなのか?っていうとそうでもないと思う。
長生きして欲しいと思うのは周りの家族がそう思う事であって、本当に痛みや不快感で苦しんでる患者さんからすると、生きるよりも先にこの痛みから解放されたいと思うのが先だと思う。
家族がその患者さんに対して長生きして欲しいと思うのは、例えば「自分は親不孝だ」と思う後悔からくるもんだったりすると思う。
人それぞれ違うやろうけど、やっぱり愛する人には1日でも長く生きていて欲しいと思うけど、その長く生きる1日がその本人にとって肉体的にも精神的にも苦痛な日々なら私は1日も長く生きて欲しいとは思わないようになった。

私は日本の医療現場をあんまりよく知らないから正確な事は言えないけど、日本ってどっちかっていうと死に逝く患者にも過度な治療を続けてると思う。
これはあくまでも私の祖父2人の死への過程を見て来た部分での意見やけど。
自分で呼吸をする事が出来なくなった人をventilationにつないで生かす。
口から物を食べれなくなった人はtube feedingで生かす。
とりあえず人を生かせるテクノロジーが発達した分、患者の自分の治療に対して自分はどうしたいか?っていう意思の部分が無視されてるようにも思う。
というか、死に逝く患者本人に「どうしたいか?」という事を聞く習慣は日本にあるのか自体謎だ。

今日のコミュニケーションのクラスで思ったのは、死に逝くものを目の前にその人の死に対して家族全員で話あう事は大切な事だと思った。
お互いのわだかまりみたいなのを取り除く事が一番大切だと。
死に逝くものは「家族の負担になりたくない」とか、「なんだか1人だけ孤立してるみたいだ」とか色々思っててもそれをあまり家族の前で口に出す事は少ない。
家族は家族で「どうしていいのか分からない」「もっとお世話をしてあげたいけど、何をしてあげたらいいのか分からない」「泣き顔を見せたくない」と色々思うわけ。
ここで死に逝くものと家族との間にギャップが出来てしまって、それが気まずい環境を作ってしまう事もある。
死を目の前にして今まで解決されてなかった家族の問題が浮き彫りになったりもする。
もう治療のすべがない状況でいかにコミュニケーションが効果的かという事を学んだ。

私個人的にこの部分にとても興味があって、最近は将来的にホスピスやoncologyで働きたいと思うようになった。
自分の両親も年老いていきいずれは死ぬ。
でもそうなった時に自分は悲しいけれど、両親には「良い死」で逝ってもらいたいと思う。
私が死ぬ時も「良い死」で死にたい。
「良い死」ってそれぞれ人によって捉え方が違うだろうけど、その人が望む方法での最期を迎えさせてあげたい。
だからきっちり死について話し合う事はとても大切なんだと思う。

今日はとてもそういう事を考えた1日だった。
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by ecotama | 2008-04-04 06:29 | College